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コラム

小さな命と向き合う 後編


ケース1後編 ~認知症のダックスフント・チョコ~

獣医師 DAI

「チョコを連れてどこかへ逃げてしまいたい」

崖っぷちに立っているようなお母さんの言葉を受け、お父さんは【安楽死】を提案します。それは、実はご家族みんなが心のどこかで感じていたけど言い出せなかったこと。もちろん満場一致ではなかったということは想像にかたいです。このご家族に限って言えば、ギリギリまで頑張りやるだけやってきたけど限界だったのは明白です。

 

 

かかりつけ医はもちろん、どの動物病院でも断られ続け僕の勤務先に飛びこんできたのが初診。面食らっている暇などなくすぐに院長と僕は話し合いに入りました。「13才と高齢」「検査しきれていない」「でも家族が持たない」「じゃあ病院で少し預かるか?」「だがそれは一時的なもの」「安楽死は俺の選択にはない」「僕にもありません」「ご家族も同じに決まっているだろ」・・・堂々巡りの話し合いが続けられました。

 

 

結果、1週間病院で預かったのち、ご家族立ち合いのもとで安楽死処置を施しました。ペットの安楽死についてその決定、手法に明確な定まりはありません。全身麻酔薬を定量より多く入れることで苦しまずに永遠の眠りにつくということは分かっています。チョコちゃんがこれ以上苦しくないように楽になってほしい。ご家族も僕たちも願っているのはそれだけでした。責任とか業務とかの活字の域を超え気持ちと気持ちでの判断でした。

 

処置が終わった後。新米看護師2名がパッと外へ走っていき小さな花束を手に持って戻りました。「これチョコちゃんにどうぞ」と、タオルに包まれたご遺体の横にそっと置いたのです。看護師の突然の行動に再度みんなでボロボロと涙しました。

 

 

僕は、どんな状況でも命を助けることが獣医療の基本であると叩き込まれてきました。「救ってなんぼ、つないでなんぼ」と。しかし今回のケースではどうでしょうか。各種検査をはじめ医療的な判断の他に、ペットの状態、ご家族の気持ち、環境・・・(多面的に診るという勉学は獣医学の授業でもあったと思うけど、現場に出てからは圧倒的にここと向き合わないとならない場面がたくさんある)これからのペット医療に絶対に必要な治療のひとつです。専門獣医師の育成も進みつつありますが、日本独自の考え方とうまく折り合いをつけるのは一筋縄ではいかないなあ、という先生方の話をよく聞きます。いずれも正解はないでしょう。命の重さは誰かにジャッジできるものではないからです。

 

 

そうだ。最後に後日談をひとつ。

泣きながら花束を添えた新米看護師が今なにをしているか、みなさんも気になるでしょ?チョコちゃんの死をきっかけに獣医師顔負けの看護師寺子屋を発足。この取り組みは雑誌に掲載されたのだ。看護師を辞めてからも多様なペット業界にもまれ、2人は強く図太く成長しましたよ(色んな意味で)その中の1人がYさん。前からやりたかったペット葬儀のスタートおめでとう。君はクリスチャンではなかったと思うがこんな葬儀は見たことがない。いつかこの北の小さな町にも、ハイカラなかっこいい葬儀を運んでくれるかな。駅のロータリーまで嫁さんの軽トラで迎えにいくよ。

 

僕は命と向き合う獣医師。君は命の終わりをつむぐ人。互いに歳をとったけどいつまでも僕らは単純だ。己をちっぽけな存在だと知りつつも家庭動物のためにできることはないかといつも考えている。小さな命の循環に敬意を払いながら。今日も、きっと明日も。

 

2021年 東北にも桜が咲いた日